• RSSを購読する
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

20130508_20140306214748d37

三種の神器、20年ぶり外に 両陛下、伊勢神宮へ出発
天皇、皇后両陛下は25日、式年遷宮があった伊勢神宮(三重県伊勢市)に参拝するため、新幹線の臨時専用列車で東京駅を出発した。歴代天皇に受け継がれる「三種の神器」の剣と璽(じ、まが玉)も一緒に運ばれた。剣と璽が皇居外に持ち出されたのは前回の式年遷宮後の両陛下の参拝以来、20年ぶり。

皇居に置かれているのはまが玉のみ。剣は熱田神宮(名古屋市)、鏡は伊勢神宮に置かれている。

東京駅のホームでは、お付きの侍従2人が黒い箱に入った剣と璽をそれぞれ捧げ持ち、新幹線に乗り込んだ。車内では、剣と璽は両陛下と同じ車両に設けられた専用台に安置された。

ソース:朝日新聞

(下に続きます)
スポンサード リンク

参考

神器1-天叢雲剣/草薙剣

kusanagi

こちらは、いわゆる「太刀/剣」ですが、呼び名は大きくふたつありますが、どちらも同じものを指します。こちらの太刀は、元々、須佐之男命(スサノオ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)討伐した際、オロチの尾から出た太刀と言われており、これが、アマテラスに献上されたものとなります。元々、ヤマタノオロチの頭上には雲がかかっていたという言われから、当初は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれておりました。

その後、ニニギの手に渡り、天孫降臨で地上界に降りて以降、神宮創建に伴って、倭姫命(ヤマトヒメ)の手に渡ります。その後、甥っ子にあたる日本武尊(ヤマトタケル)の東征のために、ヤマトヒメは、この天叢雲剣を授けるのです。そして、ヤマトタケルは、東征の途上、相模国(現在の神奈川県)あたりで、だまし打ちに会い、野中で火攻めに遭ってしまいます。その時、天叢雲剣を使って、周辺の草をなぎはらい、叔母神、ヤマトヒメから授かった火打石で、内側より迎え火をつけて、難を逃れるのです。

こうして、生まれた名前が、草をなぎはらう剣として、草薙剣(くさなぎのつるぎ)が生まれました。また、その迎え火で敵を撃退した地が、焼遣(やきづ=焼津)という地名として、現在も静岡県焼津市として残っています。その後、ヤマトタケルは、尾張国(現在の愛知県)で、宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚をし、草薙剣はミヤズヒメに託されます。このミヤズヒメを娶って宿泊した時に、剣が神々しく光り輝いたため、ミヤズヒメにその剣を奉斎することを命じて、建てられたのが現在の熱田神宮とされておりまして、このため、草薙剣は、現在も尚、熱田神宮に祀られているとされています。因に、映画トリックでは、ラストシーンに、この草をなぎはらって難を逃れるという救出法を演出で使っております。

神器2-八尺瓊勾玉

magatama

こちらは、いわゆる「勾玉(まがたま)」と呼ばれる古代における装身具のひとつとされておりますが、こちらは、アマテラスの分身とされる鏡を「太陽」とすることに対する「月」を意味するのではないかという説もあります。元々、記紀における天岩戸伝承の時に、玉祖命(タマノオヤ)に命じて製作されたものが、この八尺瓊勾玉とされ、それを賢木(さかき)に装飾して、祭祀の神、布刀玉命(フトダマ)が御幣として捧げ持ったものとして登場します。

材質として、メノウや翡翠が使用されることが多く、この八尺瓊勾玉の制作者であるタマノオヤは、この石を求めて、全国を転々としたともされ、古代における石工集団の先駆けとしてみられることもあります。そんな勾玉は、現在では、皇居御所に祀られていると言われております。

神器3-八咫鏡/真経津鏡

kagami

 

こちらは、いわゆる「鏡」のひとつで、、勾玉と同じく、記紀における天岩戸伝承の時に登場しています。八咫鏡は、この時、鍛冶の神となる天津麻羅(アマツマラ)を探し、鋼(はがね)を鋳造させたと言われています。そして、その鋼を元に、伊斯許理度売命(イシコリドメ)に創らせたのが、こちらの宝鏡、八咫鏡になるのです。この時、鏡は岩戸から顔をのぞかせたアマテラスの光を反射させ、岩戸の外にも別の太陽神が現れたという演出に使用されました。

そして、その後、鏡は、ニニギの天孫降臨に伴い、これを私と思って祀りなさいと神勅を下し、現在の世界に持ち込まれました。その後、詳細は不明ですが、宮中に祀られていたものが、あまりに霊位が高いということで、宮中外で祀る場所を模索することとなり、結果、ヤマトヒメが、伊勢国(現在の三重県)にて、新たな神勅を受ける形で、伊勢に留まったとされます。それが、現在の伊勢神宮となります。このため、八咫鏡は、現在も伊勢神宮、つまり皇大神宮(内宮)に祀られていると言います。

参考:神社人 – 三種の神器について

ツイッターの反応

スポンサード リンク